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えーと、2階はともかく1階はすごく暗いです。なんでこんなに暗くするの?
いやがらせなの?というくらい暗くて写真撮ると手ブレ確実です


機関車


EF66形 直流電気機関車です。昭和43年から製造されました
高速貨物列車用に開発され大出力を誇りました。長らく貨物専用として
運用されていましたが、昭和60年より寝台列車も牽引するようになり
東京発ブルートレインを引っ張る花形として活躍しました


まるで電車のように小さいノッチハンドルで機関車らしくありません




EF58形 直流電気機関車です。昭和21年から製造されましたが、当初はデッキ付き
機関車でしたがその後この車体形状へと変わりました
つばめなど花形優等列車を牽引するなど華々しい活躍をした戦後の代表的な機関車です
この89号機は一旦青い塗装がなされましたが博物館入りの際に戦前標準色の
ぶどう色に塗り替えられました。私は青色のほうが好きなのでちょっとガッカリ


やっぱノッチはこれくらい大きくなくちゃね





ED75形 交流電気機関車です。昭和38年から造られました
おもに東北・常磐線の交流区間でで活躍しました。青函トンネル開通後の
客車牽引機としても働きました





ED17形 直流電気機関車です。元々はイギリスから輸入された機関車で
昭和5年より改造を受けてED17なりました




ED40形 直流でき機関車です。大正8年から製造された国産初の電気機関車です
碓氷峠用に歯車の付いたアプト式の機関車です


小芝居をしてる方々が。これアプト式の整備風景という理解でいいのかな?




DD13形 ディーゼル機関車です。昭和33年から製造された貨物入れ換え用汎用機関車
いまのDE10の先輩みたいなかんじですかね。400両超製造されました


凸型機関車ですので基本横向きでの運転となります








客車


20系寝台列車です。昭和33年にデビューし大変な人気となりました
それまでは優等列車でもいわば寄せ集め編成であり、この20系から専用の電源車を
組んだ固定編成となりデザイン上の一体感も生まれました
美しい車体とも相まって満席が続き、次々と増産され新規の特急も誕生していきました
当時は「走るホテル」とも称され、いわゆるブルートレインという言葉を生んだ車両です


星ひとつは3段寝台という目印です。2個は電車寝台、3個は2段寝台です


ここにも小芝居をする人が。この当時は寝台のセットと解体をする専門の人が
乗り込んでいました。その後は中段寝台の上げ下げが電動式になったり、
2段寝台が主流になったこともあり専門職の人はいなくなりました


3段の寝台です。ベッド幅は52cm。これは旧型客車からの当時の標準の幅でした
その後の後継である14系24系ではベッド幅は70cmに拡大され、さらにそのあとの
増備で2段寝台へと進化していきました


お昼の状態はこういうかんじ

寝る体勢だとこんなかんじです





オハ31系客車です。昭和2年より製造された日本初の鋼鉄台車の客車です

この車両は三等車です


これはストーブ?





マイテ39形客車です。昭和5年製造のようです
つばめやへいわなど優等列車に編成されました
しまった!これ展望デッキに富士のトレインマークが掲げてあったらしい
無類の富士好きなのになにやってんだろう


昔の一等はいまの特等にあたり、JR九州のななつ星しか該当しません

桃山様式の内装なんですって




開拓使号客車 コトク5010 だそうです。明治13年にアメリカから輸入されたもの
その名のとおり北海道で走っていたらしい




ハニフ1形です

だそうです






だそうです。形式などはとくにないようですね

この照明のあて方だとなんかこわいよ

うん、これでわかりやすいね




「人車」とありますので人間が押して動かす鉄道ですね。説明文見てないんで詳細は不明です


近くにあった旧型客車のモックアップ






ガラス張りの触れもしない場所に御料客車が何両か並んでいました
これは明治9年製造の最初の明治天皇専用の御料客車だそう。重文なんですって


二代目、明治24年製造です


大正11年製造の第10代

あと数両あったんですけどガラスうっとうしいんで撮影パス


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